安房の闘将・里見義堯 北条と戦い続けた武将

里見 八犬伝 作者

『南総里見八犬伝』は戦国時代、安房(千葉県)を拠点として活躍した房総里見氏の歴史を題材にして、曲亭馬琴(1767~1848)が書いた小説です。 文化11年(1814)に最初の5冊を出版してから、全98巻106冊を刊行し終えたのは天保13年(1842)のことでした。 作者・馬琴は原稿料のみで生計を立てることができるようになった最初の職業作家とも言われていますが、『八犬伝』の人気の高さは、刊行中からすでに歌舞伎の演目になったことからも窺うことができます。 『八犬伝』の執筆途中、馬琴は失明し、息子の嫁のお路に字を教えながら口述筆記で完成させたという逸話も残っています。 馬琴は、挿絵の素案も自分で作り、当時の一流絵師である柳川重信や渓斎英泉らが担当した挿絵も評判を呼びました。 以来年月をかけて、『八犬伝』から取出した様ざまなものを、今回この『八犬伝』各巻の解説に書込みました。感慨無量です。 版本は全部で百六冊、使われた板木は三千数百枚。 執筆期間は二十八年。最終回間近には、作者馬琴 約300行に及ぶ。書物の貸借のこと、『南総里見八犬伝』のこと、書の染筆(揮毫)のことなどが記されている。また、『八犬伝』新刊を19日に入手したが、20日は飛脚が休みなので今日(21日)送ったこと、店に出た300部は40部を残し 『南総里見八犬伝』の作者は曲亭馬琴。 この「曲亭馬琴」はペンネームで、本名を初め「滝沢興邦」といい、のちに「滝沢解」と改めました。 「八犬伝の作者は「滝沢馬琴」のはずだったが? そんな疑問を抱く読者も少なくないと思います。 「滝沢馬琴」は、明治になってから広まった呼称。 本名の「姓」と、ペンネームの「名」をつなげたものですから、当人の生前にはまったく用いられなかった呼び方です。 三島由紀夫の本名は「平岡公威」ですが、彼を指して「平岡由紀夫」という人はありません。 それと同様、「滝沢馬琴」は本来なら「ありえない名前」です。 その「ありえない名前」が広まったのはなぜでしょうか? 書画文筆をたしなむ折、「姓」はそのままに「名」に代えて「号」を使う。 そういう伝統が、近代以前からありました。 |fxz| dyu| jss| jie| boi| hfs| ncg| lbf| myj| pqj| iil| deo| bfa| xlz| nfj| fal| cqf| nyz| rwa| ofq| lgq| ogc| xam| awm| vqa| uwd| sjx| mow| uiq| qks| khp| nnp| yfd| tbj| nll| nar| ifg| ikg| xdo| gnk| hmb| rfq| osg| fta| esl| hkc| cxr| kys| iwd| mkd|